DAY12

「――キアラ?
サニー? 」

淀むように潮のない海域、光の差さない海の暗くに呼びかける声がしていた。

男が呼びかけるのはこの海に探索を共にするはずの同行者の名前。
帰る声はなく、二人の名は海の底に消えてゆく。


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ヤグヤグ
「――ああ、くそ。 」

仕様がなく、悪態を噛み捨てる。


――はぐれたらしい。
今彼に解ることはその事の他に乏しかった。


いつものように3人、海底の探査に出かけたはずだった。
間際に、ふとした気配が気にかかり二人のもとをわずか離れたのだ。
その気配が何者かは知れなかった。ただ、それはひどく、懐かしいような気がして。
先をゆく背から抜け、辺りを眺めた。

それはまるで自身がそうして独りになる間を待ちわびていたかのように。
ふいに、強く渦が巻くように海流が体を浚い、声を上げる隙もなく景色が遠ざかった。


……それからどれほどが経ったのか、感覚には知れなかった
しかしどうやらそれほど長い間でもなかったようだ。
手にしたスキルストーンには、まだ効力が残されていた。

だが、それでも
スキルストーンの効力というのは、連続して使うにはさほど長くは持たない。
せいぜい半日か、持っても 1 日程。
それ以上は一度使用を止め、また効力を取り戻すまで待たなければならなかった。
少なくとも、自身が探索協会に持たされたものはそうした類のものらしい。


海中に息を繋ぐ手段を持たない者がそれを可能にする為の効力が、
あとどれほど持つのかと考える。

現在の残力を正確に読み取ることは出来なかったが、
この状況においてそれは
十分な長さがあるとは言えないのだろう。


拠点への緊急転送を幾度か試みたが、その念はまるで何かにかき消されるように
スキルストーンへ届くことがなかった。


ああ、と苛立ちに乱暴に息を吐く。


仮に今スキルストーンの残力が決して少なくはなかったとしても。
力に乏しく、この海の原生生物に対抗する術をほぼ持たないと言える自身にとって
仲間とはぐれるという事は非常に都合が悪かった。

せめての護身用にと手に取った銛も、漁師小屋に放置され
古びて痩せていたぼろ品だ。
その扱いに長けているとも言えず、あんまりに、心もとないものだった。




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――だから、罰が当たるんですよ。


脳裏に助手の男の声がする。


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――今にまでさんざ、人を避けておいて
都合よく助けてもらおうとなんてするから。

それがいつかに彼から聞いた言葉か
焦りの念が聞かせる自身の呵責なのかは、知れなかった。
焦りに付け込むような言葉の囁きに、うるさいと一言口にしようとして 




やにわに吹き付ける風のような水流に、視界をかばう。


その時に、ふわり
水流とともに、薄青い緑の光が細か吹くのが視界の端に触れる。


――それからふいに、何か懐かしいような感覚がよぎった。


不可思議そうに、薄目を開ける。
それは、いうなれば匂いによく似ていた。
目に見えず、指にも触れず脳底をくすぐるような感覚。

ひどく懐かしいような、その感覚の答えを探ろうと、顔を上げ


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ヤグヤグ
「――っ!! 」
目にした光景に息をつまらせる。



それはいつの間に、目の前に現れたのだろう。
あるいは、どうしてそこにあることを気が付かなかったのだろう。

そこに、一隻の船が沈んでいた。


まさか、と思わずに口をつく。
破損し、いくらか古ぼけていたもののその船を決して他と見紛うはずがなかった。

それは、若く昔に学者として名を持っていた彼が、その当時を共にした船。
禁忌海域の嵐に、妻を乗せ沈んだはずだった――
――彼の生きたすべてと呼べた時を受け湛えていたその器。



慌て、駆け寄るようにしてその船のもとへと泳ぎ寄せられる。



質素な調度の船首飾り。
一欠片だけ藍色をした窓の化粧硝子。
甲板に彫られた悪戯書――

いくらか波に荒らされていたものの、その一つずつすべてがその時のままだった。


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ヤグヤグ
「――……!……!! 」
それは、船と消えた妻――シスカと重ねた時の残滓。



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ヤグヤグ
「――シスカ! 」

耐えきれずに、名を呼んだ。
自身が一人海底にはぐれたという事も忘れ、
その船とともに消えたはずの妻の姿を、闇雲に探る。



甲板を蹴り、主船室へむかうと、ゆがんだドアをこじ開け中へと身を押し込み入る。
その部屋はかつて彼女が何より気に入っていたその場所だった。

足を踏み込めば、堆積した砂が埃のようにして舞い上げられて
部屋の中を薄霞に溶かした。



崩れたテーブルの傍らに、割れたカップが横たわっていた。
彼女はこのテーブルで紅茶を飲むことが好きだった。
割れたカップの隣には、揃いの柄のカップが取り残されたままになっている。


なぎ倒され床を固める書籍棚が目につき
地図と図解の瓦礫の下をやみくもに掘り起こせば


――その隙間から、白い指のような影が覗いた。


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ヤグヤグ
「――!!! 」

声をつまらせ、そこへ手を伸ばそうとしたその刹那。
にわか、船の中に嵐のように、強く渦が巻き体を弾かれる。



船室の天井に強か背を叩きつけられて、ぐう、と喉の奥に息を詰まらせる。
喉から空気が音を立てて溢れ、泡に消えた。


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ヤグヤグ
「っ……、! 」


反射に息を吸い込もうとして、海水をしたたか飲み込んだ。
不随な反射に翻弄されるままにむせこみ、また水を飲み。
それを吐き出そうとしてその時

初めて息ができないことに気がついた。



声にも、音にすらも叶わず、ただ静かに悲鳴を上げる。
視界が暗く水にぼやけて、溺れる呼吸のそのままに、水を飲み、飲み。
そうしてその手から、スキルストーンを手放していた事を知る。


巣穴から引きずり出され、猫に尾を押さえられたネズミのように出鱈目に体をひねる。
指先は幾度も海中を探るが、その手がスキルストーンを見つけることはなかった。


この場所は、本来人の足の踏み入ることのできない海中の世界。
この海に身を投じてから夢のように忘れかけていたその事をひどく鮮明に思い出す。

溺れる苦しみは意識を手放すことを容易には許さず
窒息は視界を絶望に濡らしていった。


ヤグヤグ「――っ 」

首筋に細いものが這う感覚がした。
それはクラゲの触手のようななにか。
絡めるように腕を取られ、体が抑えらる。


薄青い光がぼやける視界を照らした。



ちいさな、人に似た姿の何かが
こちらへ口を開けているのが見え――






――覚えていたのは、それまで。







  • 最終更新:2017-03-27 23:11:54

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