DAY13


――魚をひとり、捕まえた。



捕まえた魚は、大きな魚。
しばらく泡を吐いていたけど、そのうちそれも吐かなくなった。

はぐれた魚がこの船に来るのを待っていた。
そうすればきっと、捕まえられる。そうしてやっぱり、捕まえた。


大きな魚、はぐれた魚。美味しそうだった。お腹が空いていた。

動かないように、暴れないように絡めて、捕まえて。
それから、齧ろうとして。



遠くで、鱗の銀色がきらり、光ったような気がした。


それは、わからないけれど、不思議な気持ち。
例えば波の空に星が落ちたみたいな、
見えない遠くで魚の子供が死んだみたいな知らない気持ち。



魚の顔を見たら、どこかでこの魚を知っているような気がした。

急に、なんだか不思議な気持ちになったから
一度食べるのをやめる。


――そうだ、と思った。

この魚もおんなじ。最初の魚とおんなじ。
大きくて、腕がふたつあって、足がふたつあって、首がある。


それはあんまり似ていないけど、ひらひらおかしな鰭があって。
そうしてきっと、お腹の中は赤いんだ。



くるくる、周りを回ってみる。

この魚を知っている。
きっと、本当はもっとたくさん知っている。


知っているのは、この「魚」の事かもしれない。
知っているのは、この「魚達」の事かもしれない。
だけど、わからなくて。


たべたらわかるのかも。
だけど、たべたらもうわからないのかも。



不思議な感覚だったから。初めて思ったことだから。
かんがえて、それから 魚を食べるのを、やめることにした。

 
たぶん、波の天井の上から泳いできたの。

空の魚は、泡を食べるから。
魚に泡をあげて。天井へ目指して連れてゆく。


空を目指して、逃してあげることにした。
そうして、別の魚を、捕まえて食べよう。

大きくて、腕がふたつあって、脚がふたつあって、首がある、魚。

今度に捕まえたら、きっと食べてしまおう。


    ──────────────
 
 
辺りはすでに日が暮れていた。

未だ拠点に戻らないヤグヤグを案じて、
助手の男は明かりひとつを手にして、浜を探し歩く。


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ハンス
「ムロジャフ博士―― 」

近くに彼の居ることを祈りながら名を叫ぶ。 

もしも彼が海中探査の途中に倒れたとすれば、
身に危険の及ぶ前に探索者協会に配布されたスキルストーンにより
拠点へと転送をされるはずだった。

仮にそれが機能しなかったのならと考えかけて、
視界の霞みそうになるのを抑えて遠くを見る。



ふと、 波間から水の跳ねる音がして、そちらを振り返る。


水の暗くに目を凝らせば、海の浅くへ奇妙な魚が波間から顔を出し
こちらを伺うように佇んでいた。


薄く水をすく体、つぎはぎ合わせるような鰭と
薄くクラゲのように膜を被った少女のような姿。

それは以前、ここで目にしたあの魚と同一だった。


その特徴が、以前に目にした時とまた違えていることに気がつく。

蛸に似た触腕は薄く鰭のように変化し
そこへ複数の目玉のような器官が着いているのが垣間見えた。

それから、なによりも。
上体に付いた一対の鰭が、腕のようにして肩から伸び
人の形を以前よりも強く形度っていて思えた──



しばらくの間、思わずに目を奪われ、はっとする。
その傍ら、波間にヤグヤグの姿があることに気が付く。


ああ、と思わず声を出すとその魚は彼を置いて水中へと身を翻した。
慌て、浅瀬に波を蹴立て海に入り、水を掻きその裾を引き寄せる。


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ハンス
「ムロジャフ博士──!」

幾度名を呼びながら、体を浅瀬から引き上げ浜にヤグヤグを寝かせた。


傍らにつき、手を宛てて短く
かふ、と水を吐く吐息が聞こえ、息のあることに安堵する。


やがて、薄く瞼をゆらして、その瞳が星を見た。


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ハンス
「ムロジャフ博士、ムロジャフ博士
私の声がわかりますか──」


呼びかける言葉が耳に届くか、
ヤグヤグは揺れる瞳でおもむろに海へ瞳を向けた。


指先を弱く沖へ伸ばすのに気がついて自身もそちらへ視線を投げる。



波の隙間、沖の遠くへこちらを伺う魚の姿がちらりと見えて

その影はすぐに月の明かりを翻し落ちる星のように姿を消した。


ヤグヤグのかすれる吐息がひゅう、と僅か波に溶けた。
彼の唇が、待つように願い動くのを見た。


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ハンス
「……ムロジャフ博士。」

静かに、再び名を呼びその意味を問う。


まだ溺れたような眼差しで、波の遠くを眺めながら
途切れてかすかに声が帰った。


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ヤグヤグ
「──船だ。」


それは、意識おぼろ眠りの淵から夢に言うように。


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ヤグヤグ
「船を、見たんだ。」

うわ言のように、そう繰り返した。


船と。彼の指すそれを察して思う。
きっと、そう。いつかの嵐に沈んだ、若き日の投影の、それ。


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ハンス
「まさか。」

ぽつり、こぼした言葉が行き場をなくして波に攫われる。



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ハンス
「──……戻りましょう。」

やがてそういって、
まだ意識に溺れの残るヤグヤグの身を静かに起こし、
波に背を向けて肩を支えた。






  • 最終更新:2017-04-24 20:06:15

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