DAY14

yagu16.png
ヤグヤグ
「…………。」

青く波の中、その底で。
いつものよう探索に出た男は、ひどく疲れた顔をしていた。




先日に自身が海の底にはぐれ、スキルストーンを一時的に手放し、溺れ。
そうして意識を失ったことは忘れたわけではない。

その後日、ちょうど昨晩の事。
ベッドの上、心地に残る溺れの霧が漸くに視界から消えて。
徐に体を起こせば、待っていたのは助手の男の叱責だった。


彼の叱責は長く続いた。
ろくに聞く気などはなかったが、3度も倒れたともなれば逃れようもないと諦めに耳を傾けた。


それは、辺りの潮風から速度を奪って。波の音を耳鳴りに薄め。
星の行く方を、針の巡りを、すべて止めてからなおも続いた。

短い時針が歩みを進める数歩の間に、ヤグヤグの中では幾数年の陽が落ちたのだ。




散々だと、ひとり苦い顔をしながら。だが、と考える。
助手が自らに怒りを向けるとき。
しかし、それは何処か奇妙な心地を覚えるのだと、不思議と遠くを想う。

声を荒らげられるが慣れないことではない。
学士の名が廃れ、背を嘲る者から。泥酔し肩をぶつけた路地の男から。
幼い頃、故郷の者から。
それは珍しくもなく浴びせらた事だった。


襟を掴まれたことがあった。
口汚く罵られたことがあった。
その度に、その声の大きさと同じように自身も幾度怒りを返した。

しかし、彼の言葉は自らの勝手を強要するようなそれらの怒号とどこかで決定的に違えていた。


怒声には慣れていたつもりだった。
だというのに、その声には未だ慣れることが出来なかったのだ。

聞くうちに声がつまり、酸欠のようにして心地が遠くなるのは――
――声の裏、言葉の芯に自身を案じることが知れていたからかもしれない。



故郷に生きた幼き日、珍しく通った旅人から、本を買ったことを思い出す。

種族の外にある文化を信じることは、種への冒涜とされていた。
本を取り上げ、幼い自身の頬を叩き種の恥を責めた父の怒声と――
助手の男が海に溺れた自身を責めた怒声が、同じものとは思えなかった。


それから、なによりも
唯一もう一人だけ。助手の男と同じ怒声を向ける女性を、記憶鮮明に知っていた――

やがて、そこまで考えて。はあ、とごまかす様にため息を吐き、頭を振った。



――ふと、薄青い緑色の光が俯いた目の先を横ぎった。



は、としてそれの泳ぎ来た方を見て、思わずに目を開く。

おぼろげに揺蕩いながら、遠く。こちらに顔を向ける魚の様な姿を見た――



それが、助手の男が海で見たと言ったその魚だと、すぐに気が付いた。
それから、それは先日、海の底で見た船の中で目にした、あの魚。
まるで継ぎはぎ合わせるようにして、違える種の特徴を一身に持つ魚――



数回、こうして海底の探査に出ていたヤグヤグには
その魚の持つ特徴の多くが、この海にすむ原生生物の物だとすぐに思い当たった。


消えかけて薄い縞模様はカクレヌクマノミ。
水を透く体と柔かな鰭はエンジェルフィッシュ。
いくらか平たかったが、蛸の触腕を彷彿とさせる腰鰭はオクトパス男爵と……
そこにつきこちらを見る複数の目はデビルフィッシャーマン。
人型の体、少女の面影はシーバンシーと、それから――



yagu14-2.png
ヤグヤグ
「――!」

気が付いて、息をのむ。



僅か感じる懐かしい匂いに似た物は、あの船を見た時に覚えたのと同じ。
小さく舞う薄青い緑の光もあの船の中にあった物と、それから
この海に黒真珠を落とし、生まれた嵐の渦の中、巨大な人の形をした魚を見た時の物と同じ。
彼の妻、シスカが嵐に消えたあの日、波間に見えた無数の光と同じ。


きっと、そう。
人の形をとるその魚の、少女のような面影に見えるのは――



yagu16.png
ヤグヤグ
「っ……!」

ごぼ、と海底に沈む瓦礫が音をたてて動く。
その隙間から、この海域にすむ原生生物が向かってきていた。


一時、注目が原生生物の方へと逸れる。
それから、再び遠くを見れば、少女の姿をしたその魚は
遠くへ尾びれをひるがえし遠ざかっていくところだった。
すぐさまそれを追いかけようとしたが、原生生物は道を塞ぐように立ちはだかる。



yagu3.png
ヤグヤグ
「――ああ、くそ……!」

幾度か目の迎撃へ備えるその中で、後ずさりながら彼女――
あの魚――が泳ぎ消える方を見つめていた。

スキルストーンを強く握りしめる。
そうして、そこに籠る力を掌に感じながら思案する。

波に落とした願いの言葉。
切に思うその言葉を思い返していた。




――再会を。

隣り合い過ごす日々と共に
永久に、君とあらん事――

そう。あれはきっと、願ったその欠片。
隣り合い永久に過ごす君の、吐息の残り――――




――瞳の先は、遠く朧の幻影を追っていた。







  • 最終更新:2017-04-24 20:00:58

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード