DAY18


──こつ。こつ。

暗い部屋の中に、乾いた音がおとなしく続く。
音のするもとは、机に向かうヤグヤグが退屈に天板をたたくペンの音。

こつ。こつ──

音のするもとは、その台に置かれた小さな水槽。


物思いにふけり、頬杖をつくヤグヤグの視線の先では
ペンの背の音に似て、水槽の中の魚がガラス面を絶えず突いている。


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ヤグヤグ
「…………。」


無機質に衝突を続けるその音に
しかし、中に泳ぐ魚は既に息絶えていることをヤグヤグは知る。



斑に抜けた鱗、体の至る箇所に出鱈目に鰭の生えたその魚は
天井に腹を向けたままの体制で、濁り白んだ目を虚空に向け
機械的に一点を目指し泳ぎ続けている。



その魚の目指す先には、部屋の中央に置かれた大きな水槽があった。



締め切った部屋、水槽の中に迎えた彼女の経過を見守る途中。
それは不意に湧いた好奇心だった。

先日に、水槽の中へ食事を落す際
誤って彼女を傷つけてしまい、クラゲに似た触手がひとつ千切れた。

その時、ふと、捕食した生体の特徴を身に取り移す彼女の
その肉を口にした者はどうなるのか、強く気にかかりそれを試した。


それから、結果は目の前の通りだった。


彼女の一部を捕食した個体は、一定の活動静化の末
本来持つ生態機能を停止し、新たに移動するための組織を形成
──言うならば、それはまるで生ける死体とも言える様相を呈した。


推測するに。

彼女を捕食した魚は、体内から彼女に捕食し返されるようにして
やがて、体組織を塗り替えられるのだろう。


そんな馬鹿な事が、とはじめて見るにおもったが
その後数体試そうと結果はほぼ、同様だった。



彼女には複雑な体組織構造がなく
いうなれば細胞の一つずつが彼女としての意味を持っている、のだろうか。


彼女を捕食した魚は、それから、彼女のもとを目指し泳ぐようになる。

試しに彼女の水槽へその状態になった魚を放つと
その個体は彼女の元へ鮟鱇の雄のように接触し
──同化した。


その際には、彼女の方からその魚を捕食に向かうような動作は見られず
まるで当然のようにして、視野にも入れない様子だったのが印象的だった。



その一連を見届け、気にかかる点がひとつあった。

彼女の一部を捕食した魚が彼女の意識に同化するまでは、個体差があるようだった。
現に、今水槽でガラスを叩く魚は
他に視察した魚に比べ長くの間同化せずにいたのだが──



──仮に、と浮かんだ疑問の答えは、この水槽の魚では決してない。

それは、そうして活動静化のその末に、再びその個体の意思で泳ぐものがあるならば。
彼女の意識に同化されず──いうなれば、適応する個体があるとしたならば
その場合は、その個体はどのような状態を示すのだろうか。

通常通り、食物として彼女の一部を消化し飲み下すのだろうか。
それとも──



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ヤグヤグ
「──っぅ……、」


にわかに左の肩が痛み、引きつらせるようにして腕を縮こませる。
机をつつくペンを転がし放り、対の腕で肩をかばう。


波のようにして脈を打ち襲う痛みに、ゆがめた口の端から冷たく息を吸う。

安物めが。
そう、気を紛らわせるように悪態を一つ吐き出して
机の上に転がるスキルストーンを手に取り握り、肩へ宛がった。


小さく、ランプの明かりより弱く部屋に明かりが漏れる。
奥歯を合わせながら、台の上を眺める。

台の上の木目は、染みつきでいくらか汚れていた。


──こつ。こつ。


時計の針のように、無機質に魚がガラスをたたく音がする。


こつ。こつ。

こつ。こつ──



それを聞きながら、しかし
ああ、と思う。


それは、かつての旅の中でもそう。
彼女はいつも、自身に新しい知の切り端を与えてくれる。
その両手で、両眼で。砂に埋もれた未知を見出し、己の好奇を刺激してくれる。

そうして、今も。


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ヤグヤグ
「…………。」



横顔にわずか汗がにじむ。
薄明りの下でうつむいたまま、ヤグヤグは微笑んだ。






  • 最終更新:2017-06-26 18:12:09

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