DAY19

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ハンス
「ムロジャフ博士?」

誰もいない小屋の中にそう、静かに声をかける。
夕刻すぎ。
助手の男が外出を終え拠点へ戻ると、小屋にはすでに明かりが灯っていた。


以前に図書館に訪れたのと同じようにして。
この日も彼はヤグヤグから用事を言付かり、拠点を空けて街に出ていた。


明かりを見るには、ヤグヤグはすでに探査を終えて先に戻っているのだろう、と。
遅くなったと思いながら、小屋のドアを開き中へと入り
詫びの言葉をかけようと口を開いたがそこにヤグヤグの姿は見られなかった。


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ハンス
「…………。」


おや、と小さく首をかしげて部屋の中を軽く見まわす。
小屋の入り口近くに、彼が探査に持ち出すスピアフィッシング用の槍と
荷物の入れられた鞄が粗雑に置かれているのを見れば、
彼は一度探索を終えここへと戻った様子であった。

潮の臭いの染みついた小さな小屋の中には人のいる気配はまるでせず。
ただ遠くの浜の波音だけが風と共に静かに横たわっていた。

拍子抜けするように瞬きを数回して荷物を下ろす。


拠点に戻った後、ヤグヤグはまたすぐに出かけてしまったのだろうかと
そう、考えながら重たい買い物袋をおろし、中身を広げた。


先数日分のパンと、飲料水。それから保存のきく缶詰をしまい込み、
最後に彼から頼まれていた資料を取り出して、どこへ置いておくか部屋を見返したとき



ふと、彼の部屋のドアがわずかに開いていることに気が付いた。

おや、と不審に声を漏らす。
そこは、彼が海から魚を連れ帰り視察を始めた日からという物
固く締め切られ、鍵をかけられているはずの部屋だった。

それが、いくらか異様な光景に思えて。
ゆっくりとそこへ歩み寄る。



この部屋の中には、彼が隠すあの魚がいる。
おそらく、それは人の形をしているのだ。

何度か指先を迷わせ、やがてそのドアへ手をかける。

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ハンス
「……ムロジャフ博士?」

恐る恐る、中を覗き込み声をかけた。



窓の閉め切られた部屋の中は、明かりが無く、薄暗い色に溶け込んでいた。
換気をしていないせいか、篭ったような埃の臭いと
何か饐えたような臭いがしていた。

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ハンス
「…………。」

思わずに、表情を顰める。
部屋の中を微かだが、確かに漂う饐えたようなその臭いが
血の臭いに似て思えたからだ。


部屋の中央に置かれた黒い布のかけられた水槽から
わずかな水音が聞こえていた。
その臭いは、おそらくこの水槽からするのに違いない。


息を呑み、恐れながら布を捲る。
ヤグヤグが部屋に隠すこの魚に、何か不吉なものを感じていた。

わずか開いた隙間から、水槽の中を覗き込めば
暗色に沈む影に、水がわずか揺らぐのが見えて──



──人間の眼と、視線があった。




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ハンス
「ひ……っ!」

思わずに、小さく悲鳴を上げて体を引いた。



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ヤグヤグ
「……ハンス。誰が部屋を開けて良いと言った。」
その背後から、ヤグヤグが低い声色で言うのに気が付いて
子猫のように肩を跳ねさせる。


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ハンス
「あ……。
あ、その……いえ。お姿が見えなかったものですから、中にいらっしゃるかと思い……。
出かけて、いらしたのですか。」



焦りに言葉をいくつか閊えさる助手の男の問いかけには
何も返さず、ヤグヤグはハンスをのけて部屋に入り、水槽にかけられた布を直す。
その隙間から、幼い少女のようなシルエットがのぞくような心地がした。



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ヤグヤグ
「言っただろう、光が苦手なんだ。
繊細な個体だ、あまり無暗に触れないでくれ。」


ハンス
「……あ。」

布をかけなおすヤグヤグの腕に、白い布がまかれるのが目に入る。
そこへ、血の色が滲んでいた。

ハンス
「ムロジャフ博士、その腕は……どう、されたのですか。」

問いかけに、ヤグヤグはぴくりと身動きを止む。


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ヤグヤグ
「……。
探索の途中に付いた傷だ。放っておけ。」

やがて、そうとだけ答えると
やや強引に部屋のドアを閉め、内側から鍵をかけた。



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ハンス
「…………。」


先ほど見えた水槽の瞳と、彼の腕の傷に胸の底がざわめく。

拭いきれない感覚に、扉の向こうをただじっと、眺めていた。



  • 次の日誌……まだよ



  • 最終更新:2017-06-26 18:11:37

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