DAY22

夕暮れ時の静けさの中
鍵を開けられて、散らかされたままにされた部屋を助手の男はひとり片付けていた。


割られたままのガラス片と、床にまき散らされた小間物や家具の破損片。
それから、そこに泳ぐ主が抜け出し、空になったままの水槽。
まるで、異様な日々を日常へと帰すようにして、淡々と部屋を片付ける。


水槽の魚が、夜闇に消えてから。
あれから、ヤグヤグはふさぎ込むようにしていたが
ハンスは心のどこかに安堵を覚えていた。

光を嫌い、人の形を身に模す魚。
あれは、海の魔の類なのだろうと、ぼんやりと何処かで思う。




ふと、卓上をみれば、そこへ乗せられた数冊の本に視線がゆく。

それは、民族伝承の綴られた本と、普段の彼であれば目にもくれないであろう
都市伝説の類を集めた、安っぽい表紙をした大衆冊子。

その表紙のそれぞれに、海にまつわる伝承と
人魚の文字が見て取れた。


それらの冊子に隠れるようにして、彼の手記があるのを見つけ
おもむろにそれを手に取る。

そこには、あの水槽の魚の視察禄が綴られていた。



つぎはぎのようにして異なる魚の特徴を持ち
捕食した生体の特性を身に映すようにして変体する様子。
そうして、人の形を取ろうとする様。


そこに綴られた生体は、非現実的と言える物としか思えなかった。


視察禄を読み進め、ふと手を止める。
ページを改めて、走り書きのようにして綴られていたのは
その魚の体片を口にしたものの経過についてだった。



──「彼女」の一部を捕食した個体は、一定の活動静化の末
本来持つ生態機能を停止し、新たに移動するための組織を形成し
「彼女」の元へ泳ぎ寄せられて、同化するに至った。


活動静化の期間は個体により差がある様子であった。
数個体同様に視察を続けていたところ、検体の一部にそれを示さないものが現れる。

その個体は、水槽へ移す際に付いた傷が原因となり体表面に化膿を起こしていたが
その傷の急速な治癒が認められた。



再度活動を始めてからの様子は
一見するには以前と変わりのないようにも思えたが、
とくに顕著であったのは食性の変化である。
合成飼料に興味を示さなくなり、魚肉、特に同種族の肉への関心を示すようになっていた。



鰭の一部をナイフで割き再生性を観察したところ、
異常とも呼べる速度での治癒が認められた。
また、体の治癒にあたっては、治癒傾向が見られてから
食欲の増加が見受けられたことから、食量と再生速度には一定の関連性があると思われる。


また、意図的に特定の種の魚のみを与え続けたところ、
鰭の一部に同種の特徴をわずかに帯びるようになることを確認している。
「彼女」ほどの顕著さはないが、それは捕食した生体の特徴を身に取る
「彼女」の体質と類似しているものと言えた。



その魚の体に刃を深く刺して傷を与え視察する。
通常であれば死を免れないであろう深度の傷を負いなお、
生命活動を続ける様が見て取れた。


切られた体表面から、それはまるで細胞分裂の様相を早回しにしたように
体組織がうごめき傷をふさぐように増殖するさまが視察できている。
その途中には、他種の魚の体組織、鰭や、鱗といった体の一部分 も共に成形し
つぎはぎを充てるように、いびつに再生を取ろうとしている様子が同時に見られた。


やがて、その活動の末に体表に付いた傷の大部分を再生した物の
検体は自意識的な活動を止め、「彼女」の一部を捕食した他の検体のように
「彼女」の方へ向け無機質に泳ぎ寄せられる行動をとり
再度平常通りの活動をすることは無かった。


同個体を「彼女」の水槽へ入れたところ、その個体は
他の個体と同様にして「彼女」に同化した。


「彼女」の細胞が魚に同化しながら徐々に増殖、共存の形を取っていると仮定する。
この個体はまだその適応が完全ではなかったがゆえに
先の傷を回復しきることができなかったのではないかと推測する──



手記はそこで一度途切れており。
そのページの端に走り書きのようにして、こう添えられていた。

「人魚の肉」「不老不死の伝承」



そこまで読み終えて、手記を閉じて台上に戻す。
綴られたその生態は信じるに難いとしか言いようがなかった。


ガラスの破られたままの窓を見て、くれてゆく空の色を眺める。
彼がここに迎えていたあの魚は
伝承に見えるような人魚だったのだろうかとぼんやり考える。


きっと、それには深く触れない方がいいのだろう。


開けられた窓から吹く風が生ぬるく部屋の中を攫い、
潮の香りだけが部屋に満ちていた。








  • 最終更新:2017-08-15 02:54:03

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