DAY26

陽も落ちてからしばらく経っていた。


いつか、水槽から魚が逃げ出してから、ヤグヤグは探索から早くに戻るようになっていた。
不安のまだ残るとはいえ、そのことにいくらか安堵したのは助手の男だった。


そのはずだったのに、その日は夕に鳴く鳥が巣に帰り。
空の青が星の形に抜け落ちて。
テーブルに置いたシチューの鍋が冷たくなっても、まだ
拠点に借りた漁師小屋に、彼の姿が戻らなかった。



その事を案じて、助手の男は浜へと様子を覗きに出たが、
人気のない夜の浜には彼の姿は見て取れなかった。
しばらくの間海の方を眺めて、波を見つめ。
長く一つ息をついたころ。


ふと、風の音に交じって、かすかな声がした。

それは、か細い女性の歌うような声。
遠くから響く高い声が、波に撹拌されて届いたような、奇妙な歌声。


その声がやけに気にかかり、思わず波打ち際へと歩み寄せられる。

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ハンス
「…………!」


──誰かいるのですか
そう声を出そうとして、海の浅く、岩の上に見えたそれに、思わず息をのむ。



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「──……。」

薄く透いた、クラゲのような幕をベールのように被ったそれは
水にぬれた皮膚に、柔らかな鰭をつけて。

人に似た上体を起こして、どの種の物とも付かないような、魚の尾を
足を崩すように横たえながら、岩場の上に腰かけてこちらを見ていた。



それは、童話にみえるような人魚と呼ぶのに相応しいような様相。
以前よりも強く人の形を取ったそれが、いつかに逃げ出したあの魚だと言う事がすぐにわかった。


彫像のような顔立ちで、こちらを見据える黒々とした瞳に
えも言われない不気味な感覚を受けて、身動きを忘れる。


しばらく、その魚と視線を合わせる形で動けずにいると
ふ、とその魚が岩陰の向こうへと姿を消した。



今にまで視界にとらえていた異形が、目視の範囲を外れては、
ふいに恐ろしさがこみあげて、その姿を波間に探りながら、後ずさる。

大きめに寄せた波の紋に靴が濡れて
自分が水際近くまで足を踏み入れてしまっていた事に気が付いたその瞬間
何か細いものが足へと絡みついた。

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ハンス
「……あっ……!!」

次の瞬間、空がぐるりと回って月が視界を過ぎる。
何が起きたか理解をする間を与えぬうちに
身体は強い力で海の中へと引きずり込まれて、見る間に浜が離れてゆく。


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ハンス
「…………!!」


必死にそれに抵抗し、溺れるようにかろうじて波間から顔を出すと──
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「──── 」

──その人魚が、自身のすぐ横で口を裂け開いて、笑っているのが見えた。


ごぽり、水の音がして。
気が付けば体ごと海の中へと引き込まれている。

嵐の波に揉まれるように撹拌される視界の中で
でたらめに腕を伸ばして辺りを探り、海底の岩へとしがみついた。




──突如、腿に鈍い痛みが食い込む。


水がふわりと濁るのを見て、頭の後ろが冷たくなる。
先ほどの魚が、体に歯を立てているのだ。

でたらめに体を捻り、それをどうにか引きはがそうとしたが、それは功を奏さなかった。


その抵抗の間にも、海へと体を引き込まれて。
しがみつこうとする爪ががり、がりと岩を掻きはがれてしまいそうに痛んだ。


息の苦しさと、抵抗のできない恐怖に、気を保つことが出来なくなりかけたその時に。
ぱあ、と辺りにまぶしく光が満ちる。


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「────!!」

女性の悲鳴のような甲高い声がして、体にまとわりつく細い触手が離れた。





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ハンス
「っ…………。」

ざぶ、と水面を抜けて海上に顔があがって。
息ができることに遅れて気が付くと、激しく咳き込みぜいぜいと喉を鳴らす。



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ヤグヤグ
「……ハンス。何を、していた。」

その声で、自身の体が後ろから抱きすくめられて
波間へと抱え上げ助けられたことに気が付く。


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ハンス
「……あ、ムロジャフ、博士……。」


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ハンス
「その……。
帰りが遅かったもので、様子を……。」



幾度も閊えさせながら、不十分に言葉を返すと、
ヤグヤグが携えていたスキルストーンが、まだ青く光を纏っていたのを水面から見つける。
先ほどの光は、彼が照らしたものだったのだろう。

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ヤグヤグ
「…………まあ、いい。
……お前はスキルストーンも持っていないのだ。
あまり、海には立ち入るな。」


ヤグヤグは何かを言いかけて、それから遠く、沖の方を眺めていた。
その視線の差す先は、あの魚の去っただろう遠く。




波の音は静かに響いて。
その先は暗く、波には何も、見つけられなかった。







  • 最終更新:2017-12-18 00:39:02

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