DAY31

──嘘よ、そんなの。
 本当にそんな場所があるの?


思わずに目を丸くして口をついた事を、思い出す。


雪深い山に囲まれた村。
人の影を抜けたすぐ先は音の一つもなく
世界がそこで終わり閉ざされた村のただ一角

夕日の当たる小高い丘の木陰で一人本を読むまだ小さな背中。
その傍らで同じ本を覗き込む。


村の人たちと言葉を交わさず、逃げて丸まるようにする彼が
この場所を知って一人座り込むことを知っていた。


その背がどうしても、どうしても気にかかり。
夕日を待って木の陰から声をかけたいつかのこと。


──ねえ、待って!


話しかけたその声に、びくりとして肩を跳ねさせて、おびえるように逃げ出す彼の背を
心の底から、願うようにして、引き止めた。



……初めのうちは、仕方がないと観念したように。
それから、やがて、少しずつ夢中に。

気が付けば二人、肩を並べて、夕日の中で
その本に綴られる世界を一緒に辿った。


旅人に貰ったのだというそれは、随分と読み古された誰かの冒険譚。

虹色に輝く雲に
飴色に染まる湖。
七色を持つ鳥の歌に
絵の具を散らしたような色の魚達と
彼らの泳ぐ暖かな海。

春の芽吹き、夏の眩しさ。
秋の実りに、冬の星空。


そこに綴られる世界の色を信じることができなかったのは
雪深いこの村の外には延々と続く鈍色の空と氷が広がっていて、他に世界がないのだと。
そう、伝承に教えられていたから。


──ねえ、そんなの、だけど嘘でしょう?


そう訪ねた言葉に、彼は本のページをめくりながらつぶやく。


──そう、嘘じゃない。
 だけど、みんな嘘だと思っている。


──どうせ、笑うだろう。
 だけど……それでもいつか、そこに行ってみたいと僕は思っている。
 触れても冷たくない水の流れる、どこか、そこへ。

遠くを見つめて瞳を輝かせるその表情を見たのは、きっと村の中の誰もが無かった。



──……だけど。
 僕は多分、外に出ては生きられないんだ。

 生きる方法を、知らないのだから……。


そう言って背表紙を閉じる笑顔は悲しげに、曇って。
ただじっと、鈍色の雲を眺めていた。



…………その本は、彼の隠した宝物だった。
だけど、あの旅人の冒険譚は、そう。

いつか村の誰かに見つかって
取り上げられて燃されてしまった──





──こぽり、こぽり
深い水の底から浮かんでゆく泡の下で

また、曖昧に。曖昧に。
忘れられない何か、遠くを思い出す。







  • 最終更新:2018-01-16 22:43:55

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