DAY42

古い木目に潮風が深く染み込んだ古びた漁師小屋の拠点。
窓を開け、床に散らばった酒瓶と書類を一人片付ける。


空けた窓から部屋に迷い込む潮風は時折床の書類をいたずらに移動させ、掃除を邪魔したが
陽を誘って髪を梳くその香りが心地よかった。



この日は、拠点に借りた漁師小屋の整理に一日、時間を使うことに決めていたのだ。



幾つかの資料を棚の中へと並べ押し込んで、
その傍から窓から駆けて入った一陣の風に、台の上の資料が薙がれて落ちる。


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ヤグヤグ
「……!」


それに気が付いて、落ちた資料を追いかけようと台の上へ手を伸ばし
そこへ、書類の束に埋もれたままそこに置いていたシスカの手記を見つけた。



積もった雪を払うようにして、書類をどけて
ゆっくりとその書記へと指先を下ろす。

幾度か、表紙を開こうとして指先をそこへ添わせて。

それから、やはりにはそれを止めるように、手記のページが開かないように掌で包み込み胸元へすくい上げる。

しばらくの間ページの中を透かして思うように、手記を抱えて
そっと、それを引き出しの中にしまい込んだ。



彼女は、確かに自身と共に時を歩み隣にいた。
それは、初めからなかったことと消えてしまったのでは、しかしない。
それなら今はもう、その感傷にすがる必要はないのだろう。

ただ、心の奥にその思いを添えればそれでいい。
時折ほほ笑みかわす為に思いを旅するようなその距離は、きっと彼女も望む事なのかもしれないと



そう、息をついて、部屋を見回す。



目に入るのは、風に散らされてまた床に落ちた書類に、
部屋の角へ追いやられたまま取り残される塵達。

だいぶん片付けたと思っていたが、まだそれを主張するにはあまりに届かない。



我ながら大層散らかしたものだと、まるで他人事のようにもうひとくち、ため息をつく。

昔によく、言われたものだったと思いだす。
用具や書類の整理が悪く、外聞の割にはおおざっぱな男なのだと。
今ではそれも懐かしいと笑うことが出来た。



そう声をかけた誰かも、今は記憶の中で声だけが残っているだけ。
──結局、誰も自身の周りには残らなかった。


それでも、きっと失ったわけではないのだろうと、幾度も自身に呼びかける。

一人きり残されるのは、いつの日かの故郷、幼い日々も同じだった。
それでも、孤独の外なにも持つ物がなかったあの頃とは、確かに時を、思いを違えている。

新ためて、孤独へ戻って来たというのなら
またここから道を歩み始めればよいと、窓の外へ顔を向け思う。



遠くの空ををゆったりと流れる雲を眺めながら
人魚の彼女が残した言葉と、境からあふれたという流に思いを巡らせる。

自身が導を立てるべき道の次は、まだはっきりと見えてはいなかったが
それでも、心のうちにそれはすでに決まっていた。


台の上に置いたスキルストーンを手に取って、そこに流れる不可思議を見つめる。


その不可思議は、直接通じるものでは無くとも
きっと種族の明かすことのできなかった流の不可思議と種類を同じくするのかもしれない。

ここに居る者たちは、それを種族の伝承が呼称したのと同じよう
魔力であると、そう言っていた。

その不可思議を理に直すことが出来たなら。
それは恐らく、種祖の叶う事のなかった願いの中枢へと道を開けるのかもしれない──


──ふいに、ドアをノックする音が部屋に落ちてそこを向く。



来客の予定も、自身を訪ねるような者のある覚えもなかった。
そちらへ視線を向けたまま、瞬きを数回するといくらかの間をおいて古いドアが開く。


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ハンス
「……あの。……ムロジャフ、博士。」



そこに、拠点を離れたはずの助手の男が立っていた。



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ヤグヤグ
「──っ……。」



その姿の見える事を想定などしておらず、目を丸める事の外身動きを忘れて立ち尽くす。
名を呼ぼうとする声が、街へは降りなかったのかと問おうとする声が、
迷いのうちに行き場をなくして幾度も喉の奥に沈んだ。


奇妙な沈黙の間、助手の男もまた、言葉を探るように口元を閊えさせながら、漸くに声を落とす。



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ハンス
「ええと……
その。
一度ここを離れた身でありながら、厚かましいとは存じております。

恥を忍んで申し上げますが、あれから幾度も思うには
やはり、私には……。
私には、ここにしか戻る場所を見つける事が出来ませんでした。

ムロジャフ博士、その……」



たどたどしく、いくつもほつれさせながら紡ごうとする言葉に
何処かであきれるようにして長く、息をついて。
それから、部屋の整理の続きにと散らばる書類を拾い上げる。



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ヤグヤグ
「……。

何をそこでつったている。
早く来て手伝わないか。」



不器用に、そう彼に伝えると
彼はいくらか驚いたような顔をしたのちに
安堵の色を笑みにして浮かべた。




──結局、自身の周りには誰も残らなかった。
ただひとり、この男を除いて。


つくづく、物好きが居たものだと心のうちに悪態をつきながらも、
自身が一人ではないことにどこかで安堵を覚えていた。




窓から吹く海風は、夏の訪れを匂わせて運んでいた。






  • 最終更新:2018-07-17 00:18:29

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