DAY7

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ヤグヤグ
「――……、……。……。」

夜の海、星明かりの薄影に歌うような声が静かに揺蕩う。

冬空の下、明かりの消えた小舟。
特徴的に高い鼻の男性が、装丁の擦れた本を手に波間へ囁き声を落としている。


彼がこの海へきて、毎晩のように舟を出しこの囁きを続けていた事の理由
それは、彼のまだ若かった昔に妻が行った儀の再現の為だった。


手にした本に綴られる、彼らの種族がかつて使った古いの字の傍ら
女性の筆跡で断片的にルビを振るように書き込まれていたのは
まだ判明に浅い、その羅列から意を解く為に彼のかつての妻――
――シスカが残した、メモ書きのような物。


――母・祖なる存在
行方 元
祈る(~ことを) 唄う
交換 捧げる ~する・行う
結び合わせる 再び
子供たち(詠唱者一人称をさす)
ここ 姿
頼む・願う ~ように

与え賜う
(叶え賜う)――


……多くの事は今にまだ想定の中に埋もれているが、断片的に読み解くにそれは
きっと何者かを呼び起こし――きっと願いを投じる言葉であると。
彼の妻、シスカはそう導き、ヤグヤグの前でこれを試し――
嵐に飲まれ、姿を消した。



いつかの日を想いに返しながら
独り淡々と文字を辿り囁きながらページをめくり、一定の節まで終えれば、また戻し。
言葉の頭から囁きを始め、それからまた戻す事を繰り返す。


奇妙な吐息の発音に彼のなぞるその言葉は、静か海へと唄うように。
その言葉は静か誰かを呼ぶように。
その言葉は静か祈り称えるように。

そうして繰り返し、何度も繰り返し響いていた。



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ヤグヤグ
「……。」

いくつも過ぎて、数回ページを往復した頃。
やがて白く息を落として星を眺める。

ただ青く横たわる海、穏やかな月影に今回もまた何の収穫も得られぬかと、
荒くいくつもバツのつけられた海図に目を移せば焦燥に駆られるようにして心が粟立つ。


やがて諦めきれずに、再度ページを巻き戻し言葉を紡ぎはじめてしばらく。
――不意に、寒空にぬるい風が吹くのを感じた。


は、として瞼を揺らす。
それはいつかの日、彼女がこの言葉をなぞった晩と同じ兆候。
そう気が付いて、額にじわりと汗が滲む。
慌て、水面を覗き込めば、水底から消え入るようにほの蒼い光が昇るのを見た。



とくりと、心臓が跳ねた。

体に流れる血の量が、僅かに増えた様な気がした。
指先を震わせて、ページの続きへ目を落とす。

声を焦りに揺らさぬようにして、吐息を紡ぎ海へ唄う。



――波が、荒れてきた。



短くなる呼吸に胸のあたりを握り潰すと、いつかに彼女がそうしたように
傍らに置いた袋から月影の色をした黒真珠を波に落とす。
言葉をつづけながら彼女の姿に想い重ねれば、その髪の香りがにわかに蘇る。


ぬるい風が、何者かの息吹のように強く巻き通り過ぎる。
飛沫を上げる波の音が、鼓動の高まりにかき消される。


風に邪魔をされながら、言葉の続きを探し古ぼけた書の端をめくる。

指先がページのいくつかを拭い、飛ばした。

それに気が付くこともなく、願いの意とされる言葉達を荒れる波の中に囁きを続けた。



ページの端、言葉の終わりへ綴りから独立し発音と共に添えられた言葉があった。
それは、彼女の字ではなく。彼自身の手で綴られた物だった。
吐息のような、曖昧な発音に。しかし、しっかりとその文字を辿る。
そこにはこう、添えられている。

――『再会を望む』




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ヤグヤグ
「う、……あっ!」

突如、高波が舟を攫う。
激しく巻く波の流動が黒く視界を覆い、小舟をいとも軽く海に沈めた。


泳ぐよりも早く、底の見えない夜影の中へ体が引きずり込まれて
慌て、懐に入れたスキルストーンを手に取る。

水底から上がる蛍のようなほの明かりが顔の横を流星のように過ぎて行き
やがて辺りを覆う黒い水の何処から、赤黒い煙の軌道が上がった。


「……!!」


水流に体を激しく攪拌され、上下の間隔が薄れてゆけば
視界が端から暗くなり、やがて消えようとしていくのが解った。



ふいに、巨大な影が光の群れを遮る。
まるで夢を見るように曖昧に、幻のように不確かに視界へ映るそれは
巨大な人の姿をとって、クジラの尾を悠然となびかせているようだった。


「……ッ……」

スキルストーンからきん、と高い音が響き、僅か水中を照らす。
縋るようにしてそれを両手に包み、念を投じる。


スキルストーンを受け取った際に話半分に聞き流した、探索協会からの言葉。
その中に転送機能についての説明があったはずだと思い返していた。

探索の途中、傷つき、あるいは溺れるなどの有事の際には
転送機能により使用者を安全な場所へ導くと。
確か、そうした話だったはずだ。


体が赤黒く染まる水の底へと沈んでゆき
ごぷりと肺から空気が漏れ出し泡となって遠ざかる。

薄れゆく意識の僅かに泡の行方を見送ればそこへ揺蕩う小さな魚影に気が付いた。


――いや、魚ではない。

遠く見えるそれは、丸く、膨れた様な形をしている。
どこか未発達な印象を受けるのは、体に対して小さな鰭のせいだろう。
しかし、それはむしろ、カエルの幼体に発育する短い手足に似て見える。


あれは、そう。たとえるとするなら。



――胎児?



きん、とスキルストーンが白く瞬いて。
同時、意識が落ちるようにしてそこで途絶えた。





  • 最終更新:2017-01-31 00:18:07

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