DAY9

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ハンス
「――はあ。」


日も暮れて空に星々の揃い始める頃。
波打ち際、買い物提げを連れ男がひとり歩く。


先日の事。
彼――ハンスは自身が助手として側に従うムロジャフ・ヤグヤグが、
拠点への帰りが遅いことをひとり案じていた。

ヤグヤグが海に溺れ、ベッドで幾らか寝込んだのはそのすぐ以前の事だった。
それが、今度はまるで競りに出されるマグロのようにして、
彼は拠点に借りた漁師小屋へと運び込まれて帰ってきたのだ。


ヤグヤグの話す事を聞くには、商船の護衛の道中海賊に襲われたのだと、そういった。

あまり危険の伴うようなことはやめるようにと。そう口を酸いて忠告をした
それだけだというのに――



  
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――私の気も知らぬくせ、貴様は!!――


やにわに怒鳴り、へそを曲げ。それから今に至るまで、一度も自分と口を聞いていない。

つくづく気の難しい人だと。浜辺の砂を踏み歩き考える。

なにもそれほどでああまで気を悪くする事もないだろうに、と息を付きかけて――
ああ、と思い当たる。





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――守り番が必要なのはムロジャフ博士、むしろ貴方の事ですよ。――



……そういえば、そんなことを言ったのだ。
さすがとは言えあれは余計だった。


――だが、仕方のないことに本心だ。

自身、決して腕の立つとは言えないが、それでも。
ヤグヤグという男はせめて目の届く場所には置いておかなければならない。


『危なっかしい』のだ。


彼は時折、視界を暗くし周りの物を見えなくするのだ。
まるでそこに生きている事も意識の外に手放すように遠く朧の何処かだけ一点に見ては
何も顧みないような事があるのだ。


その度、いつか彼が同じようにその遠い朧へと。
泡に似て消え、姿を隠してしまうのではないかという不安に襲われる。



朧の遠く。


そこに彼の見るものが何であるか、知れていた。
それは、いつか失った昔のこと――

そうする彼の元、自身が如何にしてか
手を差し伸ばす事はできないのだろうかと、その度に考える。


今もまた、そうだった。
静かに寄せる波の音に隠すようにして、ひとつ、息をつく。



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ハンス
「…………?」


ふいに、顔を上げる。
波の音、その隙間から小さく声の聞こえた気がした。



それは、遠くに鳴く海鳥のように思えて。
それはイルカの出す高音に思えて。

それは、少女の上げる悲鳴に思えて――

薄暗く宵に溶ける海を眺める。


小さくさざめく波の、しかしひとつだけ方の違える場所を、遠くなく見つけた。
何かが、泳いでいる。


波間に隠れては見えるのは、魚のような生き物だった。


――あれはなんという魚だろうか。
時折見える体の部分が、どれも良く知れているようで、どれもが種の別を知らせない。


泳ぎ見えるのは、タコのような軟体生物の触腕だろうか。
しかし、また覗くのは鮮やかな魚の鰭に思える。
僅かに覆う縞の模様は、その鰭とは別の種の魚の持つ特徴。
まるで、継ぎはぎ合わせにするように、異なる種族の特徴を1つに持つ魚。


キメラ、などと思い浮かぶ。
そうして見える特徴の幾つかが、噂に聞くこの海の原生生物に似ていて思えた。


奇妙な姿を見て捉えようと、薄闇の中に目を向けて、気のつかないうちに波間に近寄る。


靴が寄せる海水に濡らされて、気のつくように足元に目を落とせば
僅かな水音が、徐々にこちらへ近づくのに気がついた。


再び、顔を上げてその音の方を眺めて、思わずに目を丸くする。

距離の近く、その魚のような生き物が水面の境から体をおこし
こちらをじっと見つめていた。


さも薄く水を透く体。
海月のような幕を被るその姿は、流氷の海へ泳ぐクリオネか――
――それよりも、まるで幼い子供、人に似て思えた。



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ハンス
「うわっ!」



気を奪われるように見つめて、刹那。
それがタコの触腕を翻し、海面を叩き飛沫を上げて沈んだ。

その飛沫が、いくつも重なるように高い波を作り、視界を覆う。


「っ――」


立ち惚ける自身の体を覆って波が浚い。引き込まれるように足を取られて
ばしゃん、と尻を浅瀬につく無様な音が浜に響いた。



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ハンス
「…………あっ」


濡れた顔を拭い、思わず口をつく。
波に逃した買い物提げの中身が、散り散りに浮かんでいるのをすぐに見つけた。

ふらり、水面下からその一つを持ち去る影が見えた。
沈んでゆくのはベーコングリルとレタスのサンドイッチ。

かぷりとその端を咥えたまま、魚の影は消えていく。


やがて、小さく泡が弾けて。
まるで吐き出されるようにして、ベーコンサンドのパンと葉だけが、
難破船の破片のように虚しくうかんだ。


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ハンス
「…………。」



しばらくの間、呆気にとられる。



ムロジャフ博士に次いで、自身も海賊行為に遭った。
ぼんやりとそう、考えていた。





  • 最終更新:2017-02-27 00:07:44

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